利用者報告

固体界面のナノトライボロジー


川口 高明 (島根大学 教育学部)

1.はじめに

 ナノスケールの摩擦および摩耗現象等に関わる研究はナノトライボロジー(Nanotribology)と呼ばれており、ナノテクノロジー・ナノサイエンスの研究分野において重要な問題を提起している[1]。
 本研究ではナノトライボロジーの諸問題の中から、固体界面におけるナノスケール摩擦現象に着目し、物性基礎の視点から、その素過程および特性を数値シミュレーションの方法で調べる[2-5]。特に摩擦現象において基本的重要性を持っている摩擦力について、ナノスケールでの発生機構および諸性質を明らかにする。それをもとに、固体界面のナノスケールでのスティック-スリップ運動のような摩擦特性に深く関係した現象の発生条件なども明らかにする。
 なお本報告では、特に界面における弾性効果と相互作用の扱いを簡単化した格子モデルをもとに調べた結果を述べる。

2.モデルとシミュレーション方法の概要

 まず潤滑物質を含むナノスケールの界面を記述するモデルの概要を説明する[4]。概念図(図1)に示すように、上下2つの固体表面について各々の表面の1原子層に着目し、表面から2層目以降の原子層はバルクとしてrigidなプレートとして扱う。そして、表面原子層内の原子間相互作用と表面原子とプレート間の原子間相互作用をそれぞれ導入する。そして、潤滑剤として原子1層のナノスケールの潤滑物質を考え、固体表面原子と潤滑物質間の原子間相互作用を考慮する。ここでは便宜上、界面に接する上部固体表面の原子層をA層、潤滑物質の原子層をB層、下部固体表面の原子層をC層と呼び区別する。

図1 固体界面のモデル

 このモデルに対して分子動力学法による計算機シミュレーションを行い、摩擦特性等を解析する。主に上部のプレートが一定速度でのスライディング(滑り)運動を行っている状態に生じる動摩擦力および各層における原子の運動の時間発展等を調べる。ここでは簡単化のため、各層内の原子間相互作用力は調和型とし、層間にはGaussian型の原子間相互作用を想定する。なお、モデルおよびシミュレーションの詳細は参考文献[3,4]に説明されている。

3. ナノスケール摩擦特性

 図2に上記モデルの示す動摩擦力のスライディング速度依存性を示している。ここで横軸はA層とB層の時間平均した重心速度の差 (Va-Vb)としている。
図2  動摩擦力のスライディング速度依存性

図2では、この原子間相互作用が比較的弱い場合(KI=0.2)を示している。ここでKI は層間の原子間相互作用強度を表すパラメータである。動摩擦力特性曲線はは比較的なめらかなピーク構造を示す。しかしKI =0.5とすると、最大ピークは不連続となって大きなギャップを持ち、その高速度側に細かいピークが現れる。このギャップ構造はある特定速度域における不安定現象の発生によるものと考えられる。つまり、その状態ではスライディング速度-動摩擦力特性曲線の傾きが負になっていることに起因した動的な不安定性である。ここで、原子間相互作用が比較的弱い場合に適応できる解析的摂動理論計算によると、動摩擦力のピーク構造の出現は、superharmonic共鳴現象と関係した格子振動モード励起によることが理解できる。その共鳴条件は以下のような式で与えられる。
     
ここでnは整数、 VdifはA-B層間の速度差、Cbは潤滑層内の平均原子間隔、はA層(またはC層)の格子振動周波数である。図2の最大ピークが現れる速度は n=1の場合のVdifに対応しており、この共鳴条件を満足する速度で、共鳴的ピークが動摩擦力に現れていることが分かる。今回調べた界面パラメータでは、動摩擦力への主な寄与は、AおよびC層における格子振動モード励起過程からであり、潤滑物質層からの寄与は比較的小さい。
ここで共鳴現象における各層の役割をさらに明らかにするために、以下の式で与えられる各層における原子の速度揺らぎ を調べた。速度揺らぎはエネルギー散逸の強度、つまり動摩擦力強度を反映していることから、原子の共鳴振動を速度揺らぎの増大として捉えることで、各層の動摩擦力への寄与の大きさを個別に定量的に評価できる。図3に、原子間相互作用が弱い場合( KI=0.2) の各層の速度揺らぎの速度差依存性を示す。原子間相互作用が弱い場合は、A層とC層の速度揺らぎ強度はほとんど同値で大きな値を示し、B層の強度は低速度域では寄与の割合が大きいが高速度域では小さな値にとどまっていることを示している。このことから、このパラメータ条件では、動摩擦力への寄与は大部分がA層とC層からそれぞれ同程度なされており、B層からの寄与は低速度域でのみ重要であることが分かる。
図3 各層における速度揺らぎのスライディング速度依存性

 次に層間の原子間相互作用を強い場合(KI=0.5) として、界面効果の簡単化のために上下の固体表面が弾性的にrigidで完全に無変形であるとする。この仮定は潤滑物質内相互作用が弱く、かつ固体表面が固い場合に良く成立する。この場合の動摩擦力とスティック-スリップ運動のような特異な潤滑状態の発生機構の関係を調べる。
 この単純化したモデルにおける動摩擦力の速度差(Vp-Vl )依存性を調べた結果、上述のモデルの結果と同様に、このモデルの動摩擦力についても同様な共鳴ピーク構造が見られ、格子振動の共鳴効果が顕著に現れていることが確認された。
 さらにこのモデルにおいて、最上部プレートを一定速度で移動するステージで弾性バネを介して駆動した場合に現れる運動形態を調べた[4]。このような状況設定は、ナノトライボロジー分野で用いられている表面間力測定装置(SFA)や摩擦力顕微鏡(FFM)における測定・実験方法に対応している。
 図4にその結果の一部として、最上部プレートの速度の時間変化を示す。図中の速度Vはステージ速度を表している。図4(a)の場合の低速度状態では、プレートはスティック-スリップ運動をしているが、図4(b)の速度では比較的スムーズな運動に変化している。しかし、さらに速度増加と共に図4(a)と類似のスティック-スリップ的な運動が再び現れる。そして、さらなる速度増加によって、またスムーズな運動へと移行する。これらの現象は、スティック-スリップ運動状態のリエントランス現象を示している。このリエントランス現象は動摩擦力曲線の複雑なピーク構造とその動的不安定性に起因している。動摩擦力曲線のギャップや傾きなどの特徴から、図4に見られるスティック-スリップのような不安定運動が生じる速度域およびそのリエントランスの可能性がある程度理解される。最近これと類似のスティック-スリップ現象の表面間力測定装置を用いた実験報告がなされている[5]。
図4 駆動プレート速度の時間発展

4.まとめ

 固体界面に潤滑物質が存在する場合のナノトライボロジーに関して、主に摩擦現象を計算機シミュレーションの方法で調べた。その結果、表面原子層および潤滑物質層における格子振動の共鳴励起効果によってスライディング速度-動摩擦力特性に複雑なピーク構造が現れ、スライディング運動等に動的な不安定現象をもたらすことが明らかになった。そしてナノスケールの摩擦特性が、界面の運動に対して、リエントランス効果を伴うスティック-スリップ運動を発生させる事が分かった。
 また、本研究ではまだ調べていない表面や潤滑物質に関する多様な界面状態では、今回の結果に見られた以上に複雑な動摩擦力特性が現れる可能性があり、それらは今後の研究課題である。

 なお、本研究は青山学院大学理工学部松川宏教授との共同で行なわれたものである。


謝辞
 本研究の数値シミュレーションは大阪大学サイバーメディアセンターの施設等を利用して行なった。

参考文献
1. 例えば,Physics of sliding friction, eds. B. N. J. Persson and E. Tosatti, Kluwer, 1996. B. N. J. Persson: Sliding Friction, Springer, 1998.

2. T. Kawaguchi and H. Matsukawa, Phys. Rev. B56, 4261 (1997). ibid. B58, 15866 (1998). ibid. B61, R16366 (2000). ibid. B56, 13932 (1997).

3. T. Kawaguchi and H. Matsukawa, Surf. Rev. Lett., 8, 447 (2001). Molecular Phys., 100, 3161 (2002).

4. T. Kawaguchi and H. Matsukawa, Inter. J. of Nanoscience, 1, 731 (2002). ibid., in press.

5. P. Richetti, et al., EuroPhys. Lett., 55, 653 (2001).