大規模計算機システムの利用者の声

大規模計算機システムを利用してみたら

島田 尚一(大学院工学研究科 精密科学専攻)

 サイバーメディアセンターの広報委員会から、大規模計算機システム利用者の声というタイトルで、何でもいいから書いてほしいとのご依頼があり、つい引き受けてしまったが、締め切りも迫っていざ書き出すと書くことがなく、今になって引き受けたことを後悔している。というのは、私は2年ほど前から定額制サービスを利用しているが、計算機システムそのものについては何も分からない。また、材料挙動のシミュレーションに利用している第一原理計算のソフトにしても、局所密度汎関数法は本専攻の広瀬研究室で開発されたものであるし、分子軌道法は旧・大型計算機センター(現・サイバーメディアセンター)に導入されているAMOSSやGaussian 98を使っている。さらに、実際に計算を行っているのは学生という訳で、スーパーコンピュータへのアクセスすらろくにできないお粗末なユーザでしかないからである。したがって、おそらく全くお役に立たない利用者の声になってしまうであろうと思われるが、ご容赦いただきたい。

 ところで、私たちが取り組んでいる研究は、先端科学技術分野で使用される様々な機器を実現するための、「物つくり」の技術を開発することである。物つくりの技術には従来多くのノウハウが見受けられ、科学的アプローチが遅れている領域である。一方、最近の先端機器にはナノメートルレベルの形状精度や機器挙動の制御精度、あるいは、高温、高圧、高真空、超清浄などの極限環境のもとでの高い信頼性が要求されることが一般的になってきている。このような高信頼性機器の製作過程においては、因果関係が不明であるという意味でのノウハウは存在しない方が望ましいことは当然である。そこで、物つくりの過程や機器挙動を支配する本質的な物理現象を、素過程にまでさかのぼって明らかにし、その結果を利用して、未経験の現象を予測し、新しい機能材料や機器構造を設計・提案することが重要になってくる。
 ふたつの固体が接触し、相対運動を行う界面の微視的挙動もそのひとつである。宇宙空間のような高真空中では清浄な表面同士が接触することになり、すぐに凝着を起こしてしまう。このような環境で用いられるベアリングなどの潤滑剤には経験的に銀と鉛と二硫化モリブデンがよく用いられている。しかし、これらがなぜ真空中での潤滑剤として有用であるのかは良く分かっていない。一方、シリコン(111)面上に銀を蒸着した面とダイヤモンドの(111)面とを高真空中でしゅう動させると、0.004以下という、実用の高真空ベアリングよりも遙かに低い摩擦係数が得られることが実験的に明らかにされた[1]。最近ではシリコンを様々な形状の部品に加工することは比較的容易であるから、銀の潤滑作用の本質が明らかになれば、単結晶やアモルファスのシリコンあるいは気相合成ダイヤモンドなどを用いた超低摩擦軸受を実現できる可能性がある。また、銀は大気中では酸化してしまって潤滑効果がなくなるが、低摩擦係数発現の機構が明らかになれば、同じような機能を発現する新しい潤滑剤が見つかる可能性もある。

 図1(c)は、同図(a)に示すように、シリコン(111)面上に別のシリコン(111)面の一部を模擬したクラスターが接触した時の電荷密度分布を、局所密度汎関数法を用いた第一原理計算を用いて、解析した結果を示している。クラスターのシリコン原子が基板のシリコン原子の上に来たときには両者の間に強い結合が生じていることが分かる。一方、基板シリコン上に銀原子を少し吸着させると、図1(b)に示すように、表面は再構成して銀原子は規則的に安定位置に並ぶ。この時はクラスターと基板のシリコン原子は銀原子を介して接触することになり、クラスターのシリコン原子と銀原子との間には強い結合が生じない。このために、シリコンクラスターは基板のシリコン原子に拘束されることなく、自由に動けるものと考えられる。次に、クラスターをシリコン基板上および銀原子を吸着させた基板上を直線に沿って移動させた時の系全体のポテンシャルエネルギーの変化を求めた結果が図2である。銀原子を吸着させた方がポテンシャルエネルギーの変化がはるかに小さく、移動させるために必要な力が小さいことが予想される。もっとも、この計算は、各位置にクラスターが来て平衡状態になった時のポテンシャルの変化を調べただけで、ポテンシャルの山を乗り越える時に開放されるエネルギーを考慮していない。また、実際の摩擦現象は界面にある多くの原子同士の間に働く相互作用の合計として現れるものであるが、この計算はわずかひとつのシリコン原子を移動させただけであるため、低摩擦発現機構を議論するには不十分である。しかしながら、少なくとも銀原子の潤滑作用の本質を明らかにする手がかりは得られており、このような素過程の解明に、第一原理計算が極めて有用であることを示している。

 現在の計算機システムでは、計算速度、記憶容量の観点から、上記のような第一原理シミュレーションで取り扱える原子数、計算モデルの境界条件などには厳しい限界があり、さらに現実的なシミュレーションを行うには、当然より高速・大容量の計算機が必要になる。しかし、私たちにはより高速の計算ができるハードもソフトも開発する能力はない。そのために、折々に利用できるシステムでできる範囲の計算で我慢しなければならないのがつらいところである。もっとも、計算機の性能が良くなれば、それだけ規模の大きい計算をしたくなるため、高速化、大容量化は永遠についてまわる問題でもある。でも何とかして欲しいというのが正直なところである。また、実際に計算をしている学生達から聞こえてくる声に、ジョブを投入しても、なかなか計算の順番が回ってこないし、計算がいつになるのかがさっぱり分からないということがある。大きな計算をいくつも投入した報いであるのはよく分かるが、例えば、Gaussian 98を使う場合に、適切な計算条件やパラメーターの選定がうまくできないのが素人の悲しさである。結局、あれこれと計算をやってみながら、それらを決めるという非常に効率の悪い方法を採らざるを得なくなる。このような実際的な計算手法をアドバイスして下さる方がサイバーメディアセンターに居られるならば、計算時間や労力をかなり削減できるのではないかと痛感している。なお、定額制については、早い時期に予算の見積ができて、大変都合の良い方法であると実感している。最後に、サイバーメディアセンターの皆様には平素より多大の御支援、ご協力をいただいていることに深く感謝する次第である。

参考文献

[1] M. Goto, F. Honda: “Low froction force of diamond sliding on Ag thin films depositted on Si(111) plate”, Lubrication at the Frontier, D. Dowson et al., ed, Elsevier Science B.V. (1999) 313. 1 55