「工学倫理」教育の必要性について

野田 忠吉(工学部非常勤講師・住友精密工業㈱社友

1.はじめに

 最近、「何々倫理」と言う言葉が良く話題になる。政治家の行動に関する政治倫理、官民、政官の癒着に関わる公務員倫理、医療にかかわる生命倫理や医療倫理、地球の自然物の生存を認め、次世代に亘ってこれらの責任を問う環境倫理、インターネットをはじめとする情報技術の発達に伴い課題が大きくなった情報倫理、企業活動の社会への影響を考えるとき、忘れてはならない企業倫理等々である。
 20世紀は物質文明の時代と言われ、工学・技術の発達による数々の人工物のお蔭で、我々は、昔に比べると豊かで、便利な生活を享受できるようになった。しかし、一方では、人工物のシステムの大規模化、複雑化により、逆に、事故につながる盲点も増え、高度な技術の針の先のような盲点や、マン・マシン・システムにおける一寸したヒューマン・エラーが原因で大きな事故が起こっている。そして、いったん事故が起これば、その規模は大きく、社会に対する影響も深刻な事態になることも少なくない。工学・技術の進歩・発展は、我々にとって、必ずしも安全・快適な社会をもたらしているとはいえない。しかも、これらの人工物は、技術者が設計、製造、施工した後、長らく社会に存在し使われ続けることが多く、物質文明のインフラストラクチュアの経年劣化も考えねばならない。
 21世紀においてもこの傾向はますます強くなるに違いない。この時期に社会に巣立っていく技術者には、「ものづくり」のための設計、製造、施工、メンテナンス、修理に関する知識、情報を含めた能力は勿論、自らが作ったものが社会に危害や悪影響を及ぼさないよう、倫理的な判断ができる能力をもつことが不可欠である。 本来、企業は、その存続のために、利益を追求しなければならない。しかし、21世紀の企業は、利益の追求だけではなく、社会的責任を重んじ、道徳的な観点からその活動が評価される時代であるということをよく認識する必要がある。このため、技術者は、自らの持つ豊富な専門知識、情報力、的確な判断力に加え、倫理観を持って企業活動を支え、あるいは、経営者として倫理観を第一義に事業を推進しなければならないのである。

2.「工学」 とは、「工学倫理」 とは

 工学については、「工業に関する学問」1、「工業的生産を合理的且つ経済的に行うための技術を、体系的に研究する学問領域」2、「工学は、自然の資源を人類の福利に最適転換するある種の応用科学であるといわれる。したがって、最適な仕方で特殊な条件に合うように、構造物、装置、システムの構想や設計をすることが工学である」3と言うように色々な定義がある。
 人類は工学によって人工物を作り、その人工物が、われわれの生活社会の中で人工的な環境を形成している。これらは、人類の福利向上に貢献しなければならない。逆に、これらが人類に危害を与えるようなことがあってはならない。そこで、この人工物を設計し、製造する技術者は、社会に対して人々の安全と健康を守るという責任が生まれる。すなわち、人工物の設計や製造におけるミスは、直接、売買取引をする相手にとどまらず、その人工物を消費したり、使用したりする不特定多数の一般市民に対し、危害を与える可能性があり、それも、その危害は、時間差をおいて起こる可能性があるからである。技術者は人工物を利用する人たちの立場に立って、安全性についてよく考え、倫理観を持って「ものづくり」に対処しなければならない。「倫理」とは、「人間として行うべき筋道」である。「工学倫理」も技術者が、技術者である前に、人間として備えておかねばならない基本的な素養である。

3.交通機関の事故例と広義の「ものづくり」の大切さ

 少し実例を挙げて、この問題を考えてみよう。たとえば、われわれが日常利用する交通機関は、国際的にはグローバリゼーションの進展、国内的にも国民の生活や経済の発展に欠くことのできない重要な人工物であり、スピードアップや大量輸送などのニーズにこたえ、その機能は進歩・発達を続けてきた。しかし、最近になっても、世界的に見ても大きな事故が後を絶たない。
 1998年6月のドイツの超特急ICEの脱線・転覆・衝突事故は約100人の死者を出し、約100人の人が車椅子の生活を強いられている。現在、まだ、裁判で係争中なので断定は出来ないが、車輪の割損が原因と言われている。割損した車輪は、わが国の新幹線で使われているような、一体圧延車輪ではなく、外輪と輪心の間にゴム・ブロックを挟んだ組み立て式の弾性車輪だった。この様な車輪を採用したのは、走行中の車両振動を軽減するためであった。 車両振動の原因は色々とあるが、それを徹底的に追究せずに、安全上の重要保安部品である車輪を、安易に、弾性車輪に変えたころに問題があったのではないか。 弾性車輪についてはもっと念入りな強度検討が必要だったのではないか。
 少し古い話だが、1969年1月、米国のミシシッピー州、ローレル市を走っていたSouthern RailwayのLPGタンク列車が脱線、転覆し、大爆発と火災を発生し、町中に大きな被害を与えたことがあった。これは、その後の調査で、貨車の車輪の製造時、デイスク部の出来栄えが悪いのを機械加工で修正したバイト目が粗く、これが起点となって疲労亀裂が進み、厳寒期の事故当日、軌道の分岐点を通過する際の衝撃で、脆性破壊を伴い、割損したのが原因とわかった。この車輪を製造した米国のメーカーは、多額の賠償金を払い、数年後に車輪製造の事業から撤退した。「ものづくり」におけるWorkmanship の大切なゆえんである。
 「ものづくり」は工場生産だけに限らない。たとえば、土木工事における現地施工も同じである。2000年6月の山陽新幹線のトンネル崩落事故の原因は、コンクリート打ちの型抜き時に出来た微小なひび割れが、列車走行の振動やトンネル内の空気圧変動の繰り返しにより進展し、コンクリートの打ち込みの断続的な作業により出来た、強度の弱いコールドジョイントの存在とあいまって長い年月を経て亀裂が進み、崩落に至ったものである。
 1997年1月に日本海で沈没したロシヤのタンカー・ナホトカ号の沈没は、積荷の重油が海面に大量流出した為、環境汚染を伴い、大きな社会問題になったが、沈没の原因は、冬季、荒天における高波もあったが、不適切な積荷の積載方法と、腐食による船体の構造部材の衰耗のため、船体強度が設計強度に対し、大幅に低下していたことによるものであった。人工物を運用する側のメンテナンスも設計状態を維持すると言う意味ではある種の「ものづくり」である。
 1985年8月に群馬県御巣鷹山に日本航空のジャンボ旅客機が墜落し、520名の乗客、乗員が死亡、4名が重傷を負った。この墜落原因は、さかのぼって事故の7年前、大阪の伊丹空港で起こした「しりもち事故」の時に生じた機体後部の圧力隔壁の修理ミスに起因するものだった。「修理」と言うのは立派な「ものづくり」である。しかも、使い込んだ古い領域と、修理あるいは部品取替えを施した新しい領域が混在する、ある意味では、最も難しい「ものづくり」である。
 以上は交通機関の例に過ぎないが、あらためて、人工物の安全性確保のために、設計、製造、施工、運用・メンテナンス、修理、更には、廃棄の際の環境影響まで配慮した、倫理観を伴った「ものづくり」に真摯に取り組む必要性を感じるものである。
 一般的に、事故はひとつの原因で起こることは稀である。いくつかの原因が、同時に、あるいは、連続的に重なって、大きな事故を引き起こすことが多い。従って、それらの原因のいずれかを、誰かが気づいて、つぶせば、その事故は起こらなかったかもしれない。たしかに、世の中に、リスクの無いものを作ることは不可能である。しかし、リスクを限りなくゼロに近づけるように、常に、努力することは可能である。技術者は、自分のかかわっている仕事について、“Get the Fact” 事実を掴み、事実の変化を把握し、“Good よりBetter”, “BetterよりBest”をめざして、常に正しい判断をし、改良を繰り返す、正しい行動をとらなければならない。

4.「工学倫理」の特徴点と教育の必要性

 一般的に、技術者は個人で「ものづくり」の仕事をすることは稀である。技術者は、概ね企業の組織の一員として分担を与えられて仕事をすることになり、企業の組織に対しては忠実義務がある。そして、その企業はその存続と発展のために利益を追求しなければならない立場にある。専門分野について、知識や情報を豊富に持っている自分の作る人工物の安全性に関し、良心的に行動しようとした場合、コスト、納期、美観、利便性、スピードなど、客先の要求や、自社内における様々な価値観と利害が相反するケースが出てくる。この様な時に、相反する矛盾に耐え、正しい判断が出来るように、普段からトレーニングを積んでおくことが大切である。これは、事業を経営する経営者の心構えにも通ずるものがある。
 「工学倫理」は机の上の学問ではない。事実を掴み、必要であれば新しい技術開発を促し、社会の仕組みや変えるように促す行動的な学問である。学生に皆さんがこれを理解し、正しい判断力と行動力をもって社会に羽ばたいて行くよ工学教育の柱のひとつとして「工学倫理」教育の重要性が増してきていると言えよう。
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1.角川漢和中辞典 角川書店
2.日本語大辞典 講談社
3.<ものづくり>と複雑系 斉藤 了文 講談社