巻 頭 言
広報と記録と
大阪大学サイバーメディアセンター
広報委員会 委員長 吉 田 勝 行
その昔、聖天子として知られる堯帝が地方に巡幸した時のこと、その地の役人が恭しく挨拶にまかり越しました。
「聖上には、ご機嫌麗しく、大慶至極に存じます。まずは、お命の幾久しくあられますように。」
帝は、思慮深げな面持ちで、答えられました。
「いやいや、もうそんなに寿命が欲しいなどとは思っておらんのじゃよ。」
「それなれば、聖上の御富が、ますます豊かであられますように。」
「いやいや、それももうそんなに増やしたいとは思っておらんよ。」
「それなれば、聖上のお子様達が、ますます沢山お生まれになりますように。」
「いやいや、それも全然望んではおらんよ。」
役人は、すっかり当てが外れて聞き返しました。
「長命と富と子孫の繁栄は誰でも願うことかと承知しておりましたのに、聖上がそれらをお望みでないのは、何としたことでありましょう。」
「さればさ、子供が増えれば必ず不出来なのが出てきおって、心配の種が増えよう。富が増えれば必ず余計な雑用が増えて、それに手が取られてしまおう。長生きをすれば、辱を後世に残す羽目に陥ることも多くなろう。いずれも、我が身の徳を養うには無用のものぞ。」
それを聞くと、役人はガックリと失望の様子で、帝に聞こえよがしに呟きました。
「ちぇっ、何と堯は小さい男なんだ。子供が多くとも、それぞれに分相応の仕事を見つけてやれば、何の心配もあるまいに。富が殖えれば殖えたで、他人に分け与えてやれば何の面倒も起きまいに。命が長かろうとも病老死に煩わされなければ、治まる時代には世に出て世人と共にその昌を楽しめるし、乱れる時代には世を避けて隠遁生活を楽しむことも出来るから、何で辱の多いことがあろうか。」
こう言い捨てて、役人は背を向け退出したと「荘子」の一節に記してあったように記憶しています。
経済成長が打ち続く中国の戦国時代に書かれたこの寓話は、荘子自身にとっては自らの思想の表明であり、広報活動の一つとして文字に残したのでしょうが、明年に独法化をむかえ、経済的成功を内包する研究が強く求められる時代に大学で研究生活を送るものにとっては、経済的成功に裏打ちされた価値観がよしとされ、それが伝統的価値観である徳を凌駕する時代が来てしまったことをあらわす一つの記録と読めてしまいます。荘子の思考活動の記録が、二千数百年の時を経て自身の価値を高からしめる形で広報にもなるといった、記録と広報活動の良き関係の見本になっています。
ここに、「サイバーメディアセンター年報」第3号をお届けします。このことは、本センターが2000年4月の発足から丸3年の月日を経たことを意味します。発足時からの広報委員長として、波乱の海に乗り出す本センターの活動を細大漏らさず記録することが即良きに広報活動になるものと期待し、年報編纂の指針としてセンター内外の方々に原稿の面で御無理をお願いして参りました。この間お世話をいただきました方々や御協力いただきました方々に厚く御礼申し上げますと共に、今後ともご支援を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。