先導的研究等の推進プロジェクト

モバイル環境向P2P型情報共有基盤の確立

春本 要(大阪大学サイバーメディアセンター 応用情報システム研究部門)


1.はじめに

 本稿では、サイバーメディアセンターと情報科学研究科の教官が中心となって推進している、文部科学省科学技術振興調整費(先導的研究等の推進)によるプロジェクト「モバイル環境向P2P型情報共有基盤の確立」について、概要および研究目標を述べる。本プロジェクトは、平成13年度から平成15年度までの3年計画で研究を推進しており、現在2年間の研究期間が経過したところである。
 「世界中に分散蓄積された情報・知識をいつでもどこでも自由に活用できる」ことを標榜したモバイルインターネット技術の進展は近年著しく、特に我が国では携帯電話、PHSあわせて約8,000万にも上る契約者のうち、すでに約80%がiモードなどのIP接続サービスを利用しており、日常的にホームページを閲覧し、電子メールを頻繁に交換するに至っている(社団法人電気通信事業者協会調べ、平成15年2月末現在)。さらに、世界に先駆けて静止画像撮影機能を有する携帯電話端末が商品化され、また、次世代携帯電話では、動画像撮影、高速通信機能が利用可能となっている。今後は特に、情報端末の高性能化/小型化にともなって携帯端末からの効率的な情報発信共有への要求が高まることが予想される。
 従来、有線、無線を問わずインターネット環境における情報共有はそのほとんどがWeb技術で用いられているようなサーバ・クライアント型通信形態に基づくものであり、情報発信源であるホストが突発的に発生、消滅、さらには移動するモバイル環境には適さない。有線インターネットにおいては、サーバ・クライアント型通信に代わる新たな通信形態として登場したP2P (Peer-to-Peer)型通信に基づくシステムの研究開発が始まっているが、モバイル環境を対象としたP2P型通信技術に関する検討は世界的に見てもまったくなされていないのが現状である。特に、P2P型モバイル通信においては、これまでのモバイルインターネットの標準化において考えられてきたラストホップを無線系、バックボーンを有線系とした階層的ネットワーク構造、またサーバを中心とした階層的な情報共有構造、サービス管理構造はまったく意味をなさなくなるが、この問題に対する解は現時点では存在せず、新しい通信パラダイムとしてP2P型情報共有基盤に期待が寄せられている。
 そこで、本プロジェクトでは、新たにモバイル環境を対象としたP2P型通信形態の実現を目指し、さらには実際の応用システムとしてウェアラブルコンピューティングへの適用に取り組んでいる。具体的には、次の3つのサブグループを構成し、サイバーメディアセンターと情報科学研究科、さらには他大学の研究者とも共同で、モバイル環境向P2P型情報共有基盤を確立するためのインフラストラクチャ、アーキテクチャ、アプリケーション技術の研究開発を推進している。
(1) モバイル環境における情報資源共有のためのインフラストラクチャに関する研究
   村田正幸(CMC先端ネットワーク環境研究部門)
   菅野正嗣(大阪府立看護大学医療技術短期大学部)
   若宮直紀(情報科学研究科)
(2) モバイル環境における分散資源の発見と共有、交換に関する研究
   下條真司(CMC応用情報システム研究部門)
   春本 要(CMC応用情報システム研究部門)
   藤川和利(奈良先端科学技術大学院大学)
(3) ウェアラブルコンピューティングにおける情報交換・共有機構に関する研究
   西尾章治郎(情報科学研究科・CMCセンター長)
   塚本昌彦(情報科学研究科)
   原 隆浩(情報科学研究科)

  図1は、各サブグループ間の関係およびプロジェクト全体の概要を示したものである。なお、本プロジェクトは、サイバーメディアセンターと情報科学研究科が共同で推進している21世紀COEプログラム「ネットワーク共生環境を築く情報技術の創出」とも密接に関連をもちながら,研究を推進している。



2.研究の概要


 ここでは、各サブテーマの研究概要について述べる。なお、平成14年度の研究成果については、先端ネットワーク環境研究部門および応用情報システム研究部門の研究報告をご参照頂きたい。

2.1 モバイル環境における情報資源共有のためのインフラストラクチャに関する研究

 モバイルインターネット環境において、ネットワーク利用者が直接情報交換を行うP2P型の通信形態を実現するためには、魅力的な情報資源をもつモバイルホストが望む相手に効率よくデータを伝えられると同時に、受信者となるモバイルホストが望む情報資源を効率よく獲得することのできる通信インフラストラクチャが必要となる。例えば、P2P型モバイル通信においては、従来のサーバ・クライアント型の情報共有システムにおいて重視されてきたダウンリンクの伝送容量だけでなく、情報資源を発信、伝送するためのアップリンクの通信速度が情報交換の効率に大きな影響を与えるようになる。また、全てのネットワーク利用者が情報提供者になりうるP2P型通信においては、有線ネットワークと無線ネットワーク間で透過的に高速なデータ通信を行えるネットワークアーキテクチャが必要となる。さらに、ネットワーク上で突発的に情報資源が発生、消滅することによって引き起こされる動的かつ急激なトラヒックの集中に対処するためには、情報を効率よく配置/管理し、また、それらを配信するためのアプリケーションインフラストラクチャが必要となる。そのため、本研究課題においては、以下の研究テーマについて研究、開発を行っている。

(1)モバイル環境のためのネットワーキングインフラストラクチャに関する研究
(2)動的な資源共有を可能にするアプリケーションインフラストラクチャに関する研究

これらの研究を通して、モバイル環境におけるP2P型情報資源共有のための基盤技術を確立する。

2.2 モバイル環境における分散資源の発見と共有、交換に関する研究

 モバイル環境の整備やインターネットへの常時接続環境の充実により、固定的なサーバ中心型の情報提供形態から、従来、情報の受信者であったものが提供者になり、かつ動的にその所在が変化し得るという新たな情報提供形態が生まれてきている。このような環境下では、従来の情報資源発見機構やデータ配信機構は意味をなさなくなる。そのため、本研究課題では、モバイル端末を含んだネットワーク上に分散した情報資源の共有、および分散した情報提供者間でのデータ交換を効率的に行うための機構の実現を目指す。そこで、本研究課題においては次の2つの具体的な研究テーマを掲げ、研究、開発を行っている。

(1)分散資源共有化のための資源発見機構に関する研究
(2)多人数P2P型通信を対象としたマルチキャストに関する研究

 これらの研究を通して、サブテーマ(1)の研究成果に基づいて構築されたP2P型モバイル通信インフラストラクチャ上で、効率よく分散資源を発見、共有、交換する機構を確立する。

2.3 ウェアラブルコンピューティングにおける情報交換・共有機構に関する研究

 本研究課題では、新しい時代のコンピュータ利用環境として特にウェアラブルコンピューティング環境を想定し、その中での情報の利用方法と効率的な管理の手法について検討を行う。具体的には、次の二つの研究テーマに分けて、実際のウェアラブル環境における情報システムの構築を目指す。

(1)資源の柔軟な自律的再割当機構を有するアドホックネットワークの構築技術に関する研究
(2)ウェアラブル情報処理機構に関する研究

 最終的に(1)により実現した資源再割当機構上で、(2)により実現したウェアラブル情報処理機構を稼動し、ウェアラブルコンピューティング環境という新しいコンピュータ環境下で高度な情報システムを効率よく稼動し、永続的な運用を可能にする。

3.おわりに

 今後の急速な展開が予測されるP2P型情報共有基盤を確立するためには、それぞれの要素技術を統合化したシステム化技術が重要である。わが国の携帯電話端末技術は世界のトップクラスであり、インターネットアクセスサービスについても世界一の利用者数を誇っている。しかし、残念ながら、わが国はシステム化技術、ネットワーキング技術については米国の後塵を拝してきた。本プロジェクトにおける情報共有基盤の確立はシステム化技術の確立そのものであり、これらの分野でも米国に伍することのできる技術の確立を目指すものである。また、特に第3世代無線通信技術については世界共通の基本技術が採用されるため、国内キャリア/メーカもより一層の技術的競争力をつける必要がある。そのためには、要素技術だけでなく、システム化技術さらにはアプリケーションシステム構築技術についても世界的な市場を相手とした競争力を必要とする。本プロジェクトの研究成果を産業界に広く浸透させることにより、わが国の携帯端末に関する世界トップクラスの技術競争力を維持させることができ、また、それを起爆剤としてネットワーキング技術などについても世界を相手とした競争力をつけることも可能である。さらには、われわれの目指す情報共有基盤上に新たな応用システムを構築していくことにより、新しいネットワークサービスの創出も期待できる。
 P2P型情報共有基盤技術については、世界的にみても有線系における研究開発が緒についたばかりであり、モバイル環境における情報共有基盤に関しては世界に先駆けて確立することになる。特に、わが国は無線技術については世界のトップ水準に立っており、また、それを利用した携帯電話を介したモバイルインターネットアクセス環境についても世界のトップクラスである。その上で新しい情報共有基盤を確立する意義は大きい。すなわち、われわれの研究成果に基づいた新しい情報通信システムの創生が期待でき、また、それを構成するための新しい情報通信機器市場の発展も促せる。その結果、モバイル情報通信に関して世界トップクラスの水準を維持し、産業界は、日本だけでなく世界市場を相手にした高機能な情報通信機器製品の展開が可能になる。
 ブロードバンド時代を迎え、常時接続が当たり前になってくるとセキュリティや大規模なアクセスに対するシステムの安定性、ディジタルディバイドなどインターネットは新たな技術課題を抱えている。いつでもどこでも使えるインターネットを支えるための技術基盤がいままさに必要とされている。本プロジェクトはそのような技術課題のいくつかを解決することを目指している。