CALLシステムの利用者の声
○授業担当教官の声○
私のCALL英語授業 ― 去年と今年
今井 光規(言語文化部英語教育講座)
1.LLからCALLへ
外国語教育にLLが初めて導入されたころ、その利用の仕方について全国の先生方が大いに戸惑ったと聞いている。教科書会社が作ったお仕着せのテープを学生たちが何度も繰り返して聴き、まとまった内容を理解するという素朴な使い方でも、やり方によっては相当な成果が上がる。その後、ビデオで映画を利用したり、学生がグループで会話練習をしたり、次第に多様な方法で新しいタイプの授業が行われるようになる。しかし、なかなかなくならない問題もある。例えば、たいていの先生方が、複雑で大きなLL装置になんとなくおじけづいたということである。じつは私は、今でも、新しいLL教室で最初の授業をするときは、機械の操作がすんなり出来たことがない。それでも2週目からは、自分に必要な範囲の操作は何とか出来るようになる。それよりもっと本質的な問題は、「LLで出来る授業など、レベルの低いものに限られるのではないか。深い意味を探る講読の授業など、LL教室で出来るわけがない」、というささやきだ。実際には、工夫しだいで、いくらでも高度な授業が可能なのである。もちろん、あらゆる授業をLL教室で行おうとするのはナンセンスである。
このごろでは、視聴覚教育の重要性を疑う人はまずいない。LL教室には独特の利点があるため、今日も立派な存在理由をもっているが、コール教室はLL教室にない優れた機能をたくさん備えている。その意味でCALLは、コンピュータの助けを借りて大発展を遂げたLL、すなわち文字どおり
Computer Assisted LLである。LLが小象の鼻だとすれば、CALLは巨像の鼻であり、ちょっと扱い方さえ知れば、小さなことから巨大なことまで何にでも活用することが可能なのである。コール教室の導入に際しても、LLの場合と同様、いわれのない問題のためにコール授業の発展が妨げられるようなことがあってはならないと思う。
大阪大学のコール教室は、昨年度立ち上げられたばかりである。しかし、コール授業そのものに関しては、大阪大学は産声をあげたばかりの赤ん坊ではない。何年もそれに先立つ早い時期から、言語文化部では、有志の教官たちを中心に、マルチメディア教材の開発、教育支援ソフトの開発・改良、コールシステムの構築など、多様な研究と実験を重ねていた。英語430(作文)などの小クラスで実際にコール授業を実施してきた実績もあった。私もそのような実験授業を行った一人である。そういうわけで、昨年度コール教室が立ち上がったとき、早速コール教室を利用した。期待通りの立派な教室であった。が、そこでの授業ではいろいろ失敗(?)もした。以下、平成12年度と13年度に行った授業のあらましと感想を述べることにする。
2.H12年度の授業
初年度に行ったコール教室での授業は、英語430(作文)と英語410(リーディング)だった。410のクラスでは、インターネットを通じて、NEWS BBC(イギリスの放送局が配信している電子新聞)の記事を利用した。毎週授業の開始時点で、適当にニュース記事を指定し(ある時には好きな記事を学生自身が選ぶ形で)、それについて部分訳を求めたり、設問を出したり、記事全体の内容をまとめたり、論評を求めたりした。イギリスの列車衝突、家畜の病気、大洪水などのホットニュースや、教育、医学関係の記事などを読んだ。学生諸君は、解答は各自、細谷行輝教授開発の『新世界』という優れたソフトを用いて、そこに投稿し、全員で自由に見たり、意見を書き込んだりする。イギリスの大洪水のニュースの場合などは、インターネットで(英語で書かれた)気象情報や地理的な情報なども収集して、論評する課題も出した。ほとんどすべての学生諸君が必死に取り組み、のめり込んでいたようである。
この授業で、私はどんな失敗をしたのだろうか。阪大のコールシステムには優れた機能が満載されている。授業では、基本的な指示はもちろんクラス全員に流していたが、個々の学生の指導は、全員には伝わらない形で、個々の学生やグループごとにメッセージを送る方法を採っていた。私は教師用のコンソールの後ろで一所懸命作業をしていたのだが、学年末近くに全学共通教育機構が行ったアンケートで、「この教官は教卓の後ろで何かしていたが、私には何もしてくれない、いてもいなくても同じの教師だった」と書かれてしまった。コンピュータに授業をやらせておいて、自分は内職でもしていると思われたのであろう。課題を順調にこなしている学生には、私から何の「メッセージ」も行かなかったのである。大いに反省している。
他にも反省すべき点があった。ホットニュースを追いかけるあまり、システマティックに授業を計画していないのではないかという印象を学生諸君に与えたようだ。列車衝突などのニュースは確かに(現場の人々とのインタビューを音声で聴くことも出来るなど)現場を疑似体験できるという大きな利点があるが、もう少し計画的に教材を準備する工夫は不可能ではなかったであろう。初年度はコール立ちあげの年で、機械的にも、いろいろな初期問題が発生して、なかなか授業が軌道に乗らなかったことも、このような印象を強めたかもしれない。何かのソフトがうまく動かなくて、急遽別のことをやるといったこともよく起きた。
もう一つ反省すべき点があった。これは、英語420など(リスニング)のクラスにも共通の問題だが、上記のようなやり方の授業だと、学生諸君が予習、復習をほとんどすることが出来ないという点である。作文のクラスなどでは、改訂版を次週に提出してもらうことで、かろうじて予習、復習の機会を作った。が、これでは明らかに不十分であった。
教材は、他にも使用したものがある。同じBBCの制作した NEW ENGLISH COURSE
の中級を使った。これは、会話場面、歌、発音練習など多様な練習を楽しめるマルチメディア教材である。この教材もいろんな使い方ができるが、その一つは歌の利用である。これは、カラオケ風に英語の歌を歌うもので、最初は皆恥ずかしがっているが、気に入った歌の場合は、ヘッドホーンを付けているので、知らず知らず大きな声で練習をしている人もかなりいた。英語の発音とリズムを感得するには一つのいい方法である。その後で、英語でその歌の感想を書き、『新世界』に投稿するのである。このように授業を楽しんでくれている学生を見ると嬉しくなったものである。
3.H13年度は?
さて、2年目の今年は、英語420のリスニング・クラスをコール教室でやることになったこともあり、がらりとやり方を変えた。学生諸君にこまめに指示を出し、宿題も毎回2種類、しかもかなり多量に出した。宿題には必ずコメントをつけて返すことにした。リスニング授業であるが、内容は出来るかぎり多様化し、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングのすべての要素を盛り込んで、教室でも自宅でも、学生諸君にとにかく忙しく働いてもらうことにした。
リーディング・ライティングの要素としては、昨年と同じく BBC のニュース記事などを多量に読み、指定の課題を『新世界』へ投稿(英語で作文する場合と日本語で書くのを半々にした)、リスニングとしては、テープに指定の内容を各自録音し、例えば、「...
where it is impossible ... というところから50語正確に書き取ってくること」のような、何度も何度も繰り返し聴かなければ指定の個所さえ分からない課題に取り組んでもらった。スピーキングの要素としては、インターネットから見つけてきた「輪ゴムのマジック」の説明書2種類を読んで、そのマジックを実際に自分で出来るように練習し、しかも、大勢のお客さんの前で自分がマジシャンになったつもりで、「自分の」英語で語りながら、それを実演する場面を各自録音して提出してもらったりした。また、数人の学生に教室で実演してもらった。大勢の人の前でしゃべる練習の第一歩である。(こんな練習もしないで、いきなり学会の研究発表など出来るわけがない。)驚いたことに、ギターの伴奏や、口笛、拍手などを入れた素晴らしいマジシャンぶりを発揮してくれた学生が多数いた。たいていの人が講読の授業の時などとは打って変わっていきいきと英語をしゃべっているではないか。死んだような英語をしゃべったマジシャンも、テープを返すときにそれを注意したら、次回の宿題の朗読の録音では、アクセントをきかせ、別人のように明るい調子で読んでいた。学生諸君は、このように今年は忙しく働き、相当の成果をあげている。何よりも嬉しいのは、大半の受講者が楽しく打ち込んでくれていることである。(輪ゴムのマジックの課題で、渡部眞一郎教授のご協力を得ることが出来たのも嬉しいことだった。)
今年度反省していることは、少々しごきすぎたかなということである。宿題が大変だったらしく、ときどき他人のを丸写しで提出する者が数名現れた。(ただし、テープの録音の宿題では、それは不可能であった。)綿密に調べて指摘したら、数名の者が名乗り出てきた。その者たちも、今回は何ら不利な扱いは受けていない。こんな具合に、学生も教師もある程度楽しんでいる。一年間で、授業のやり方をこのように変えることが出来た。この調子で行けば、いくらでも工夫が出来そうである。
4.もっと多くのCALL授業を
コール教室での授業はいろんなやり方が可能である。コールシステムには驚くほど多様で高度な機能が付いている。その機能をすべて使おうとしたら、教師は間違いなく疲れ果ててしまうだろう。私自身は、コンピュータのことをほとんど何も知らない。外国語教師はそんなことを知る必要がない。ワープロが使え、インターネットで必要なホームページを開いたり、メールが送れる程度の技術で十分である。それ以上の中途半端な知識はかえって害になることもある。私たちに分からないことは、サイバーメディアセンターのたいへん有能でたいへん親切な助手や技官の方々がその場で助けて下さる。また、ありがたいことに、TAの諸君(今年度は1クラスに2人のTAを配置していただいた)にも、受講生たちの遭遇するさまざまなコンピュータ関係の問題を処理してもらえる。さらに、学期の始まる前に何度も繰り返し、コール教室の使い方の講習会も開いていただける。コールに関する技術的なことをまったく知らなくても、安心して授業を行えるよう十分配慮が行き届いている。もちろん、このように快適な授業が出来るのは、背後にMLL委員会、コール連絡会議の先生方のご苦労や、言語文化部、サイバーメディアセンターの事務の方々のご尽力があってのことである。
もう一つの大事なことは、教師は誰にでも出来るような、いちばん簡単な授業方法を採用すれば、それで十分だということである。コールシステムの高度な機能を縦横に活用するコール授業と、もっとも素朴でもっとも単純なコール授業のどちらが価値ある授業であるかは、問うも愚かな質問である。授業の価値はそんなこととは関係がないのである。私はある程度胸をはって、後者のタイプ、いちばん単純なコール授業をしていきたいと思う。学生たちの、あのいきいきとした取り組み、力強くいきいきと自分の英語で手品をした学生たち、一所懸命に自宅でディクテーションを行った学生たちのことを思い出すと、コール授業は、やはり大学レベルにおいても、英語授業の一つの極めて重要な柱として、言語文化部とサイバーメディアセンターの緊密な連携の下に、今後ますます強く推進して行くべき方向であるに違いないという思いが深まってくる。さらに多くの英語科目のコール授業が行われることを望みたい。