○TA(Teaching Assistant)の声○

CALL教室の語学授業

中尾 雪絵(大学院文学研究科 D2)


 TAとして、CALL教室の授業に参加するようになって、四ヶ月になる。授業開講前の事前講習で、CALL教育システムの使い方を教わったときには、このような複雑なシステムが、果たして使いこなせるのか、非常に不安だった。学生の座席を指定しておけば、システムを利用して瞬時に出席をとることができる。ヘッドセットをつけることで、教室の端と端の学生が会話練習を行うことができる。また一人の学生が作成した文章を教室にいる学生全員の画面に送ったり、それを教師が訂正することもできる。システム利用の効能書きが多ければ多いほど、疑わしさと心配は募った。語学教育に、ここまで機械的な作業を導入すること自体、何かそぐわないように思えた。
 これには、私自身が学部生のときに、CALL教育システムのフランス語の授業を経験していることとも関係がある。当時、週四回あったフランス語の授業は、そのうち三つがCALL教室で行われていた。学生は15人足らずで、今TAで参加している授業が一クラス55人近いことを考えると、かなり贅沢な環境であった。教室では、実際に少し離れた席にいる友達と会話練習をしたし、先生が練習問題の全員の回答をコンピューターで一人ずつ添削したり、試験の際には問題そのものが先生の画面から学生の画面へ送られてきたりした。しかし、これらがすばらしく便利だと思えたことはあまりなかった。というのも、送る、見る、開くなどの作業は、案外うまく行かないことが多く、ひどいときにはヴォルテージの上がりかけた先生が、システムに詳しい援軍を探しに行かなくてはならないなど、無駄な時間が少なくなかったからである。
 先生方が慣れていなかったからだと簡単に結論づけることはできない。事実、あのころからすればめざましい勢いでコンピューターが普及しているはずの今年の授業でも、かつて経験したのと同じような光景に、今度はTAとして遭遇している。機械の動きに教師やTAが翻弄されると、学生は待たされることになる。授業は何度も中断し、その度に学生の集中力も途切れる。教える側が機械のご機嫌とりに夢中になっている間に、主役であるはずの学生は退屈してしまうのである。  こうした時間の無駄を解消するためにTAがいるのだが、現実を明かすなら、まだまだ改善しなければならないことがたくさんある。日ごろ、文学や語学を専門に学んでいる大学院生によるTAは、語学的な面で授業を支えることはできても、先生が途方に暮れる機械関係の問題には、先生とともに頭を抱えることの方が圧倒的に多い。むしろ、語学的なことには詳しくなくても構わないから、システムを完全に理解した院生を使うべきではないのかと思ったりする。せっかく導入されているたくさんの機能を使いこなすには、先生やTAの側がもっとシステムに慣れなくてはいけないし、それらの効果的な使い方をもっと研究しなくてはならないだろう。
 ただ、人と人とのコミュニケーションである語学の授業においては、授業は機械中心であってはいけないと思う。語学教育の目的は、言語を学ぶことにある。例えば機械が動かないなら、その日はコンピューターはすべて閉じておき、先生が一人一人の名前を読みあげ、出席を取ってしまえばいい。CALL教室だから何としてもシステムを使わなければならないわけでもないだろう。システムはあくまでも、授業の目的のために利用すべきものであって、支配されてしまってはせっかくの授業がもったいない。


CALL教室でドイツ語授業のティーチングアシスタントをして

大前 智美(大学院言語文化研究科 D1)
(toomae@lc.lang.osaka-u.ac.jp)

 私は昨年度からCALL教室を利用したドイツ語授業のティーチングアシスタントをしています。CALL教室でのドイツ語の授業では、一体どのようなことをするのか、ドイツ語授業でコンピュータを使用する意味は何なのかなど、初めの疑問と好奇心一杯で授業に参加しました。  私が担当しているクラスでは、「オンラインドイツ語講座」を利用し、学生たちが、それぞれ自分のペースでドイツ語の文法理解をはかります。そして質問は「新世界」と呼ばれる掲示板に書き込みます。「新世界」に書き込まれた質問に対し、教師とティーチングアシスタントである私が随時返信します。毎回授業の最後には学生がその時間に学習したことを「新世界」に書き込み報告します。
 このような形での外国語授業は、学生が決められた授業の時間にきて、教師がいるにもかかわらず学生が一人一人の個人学習をしなくてはならないので違和感を感じるかも知れません。しかし学生はオンラインの教材を利用し、何度でも繰り返し教師の説明を聞きながら学習を進めることができ、質問は「新世界」を利用することで解消できるという利点があります。またコンピュータの操作に慣れていなかった学生たちも、始めコンピュータを前に戸惑っている様子でしたが、授業回数を重ねるにつれ、学生たちは基本的なコンピュータの操作に慣れて、ほとんど問題なく授業を受けています。つまり気が付けばドイツ語の知識とともにコンピュータの操作を同時に身につけることができ、一石二鳥とも言えるのではないでしょうか。
 今後、外国語の学習方法はこれまでと違った形でも進められるでしょう。その一手段としてこのようにコンピュータを使って学習するのもよい経験になるのではないでしょうか。ちなみに、私が学部で外国語を勉強したころにはこのようにコンピュータを使って学習するという発想すらなかったように思えます。現代のようなコンピュータが自由に使える時代にそれらをうまく利用し、教師も学生も楽しみながら学習を進められることを願っています。