「科学の哲学」という講義

齋藤 了文(全学共通教育機構非常勤講師・関西大学社会学部教授)

1.授業のやり方

 私は、前期に、「科学の哲学」という題で金曜の5限に授業をしています。何年か授業を続けているのですが、このところ「工学倫理」をテーマにした授業をしています。
 実際は、事故のビデオを見せて、その説明をし、背景を語っているという気楽な授業なのです。聴講者は、文系も理系も含んでいて、しかも1回生から取れる共通教育なので、誰にとっても難しくないように、しかも役に立つ授業をしようと思っています。
 授業の始めに、学生に配る授業予定には、序文として、次のようなことを書いています。 
純粋な科学の真理を考えるだけでは、事故が起こることを理解できない。
この授業では、事故の具体例を見ることによって、そこで使われた工学の知識、テクノロジーの考え方を明らかにしていく。ここには、理系の知識だけでなく、法、心理学(ヒューマン・エラー)、経済学等の問題がからみあっているのが見えてくる。ものづくりには総合的知識が必要であり、複雑系の知識であることが分かってくる。
「百聞は一見にしかず」であるので、この授業は、ビデオを見つつ、基本的な理解の枠組みを提示する。
 そして、実際に起こった事件などのビデオを見せて授業をしています。ここ数年、題材は少しずつ変わってきましたが、基本は同じです。
 まず、タイトルを挙げてみます。
 1.アポロ13、2.HⅡロケット失敗、3.自動車事故とアメリカの安全車の歴史、4.新幹線コンクリート崩落、5.チェルノブイリ原発事故から15年、6.2000年問題とみずほシステム障害、7.医療事故、8.タイタニック、9.品質表示ラベル張替え、10.自動車リサイクル、11.飛行機のヒューマンエラー、といったものです。
 実は、日本技術者教育認定機構(JABEE)では、技術者倫理ということを、以下のように規定しています。「技術が社会および自然に及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など、技術者として社会に対する責任を自覚する能力(技術者倫理)」というものです。そのような定義も踏まえた上で、様々な事故において、どのようなことが失敗の原因となったのか、そして科学技術的な仕方だけで対処できない問題が含まれている場合には、どのような仕方で社会的な対処が行われてきたか、といったことを説明してきました。
 一つ例を挙げながら、どのような内容を話してきたかを説明します。(実際は、ビデオの映像の力は大きいので、言葉による説明は、考えをまとめるための一つの手がかりを与える程度の役割を果たしています。)

2.タイタニック

 ここではタイタニックを取り上げます。映画を見た人も多いでしょうから。要するに、船が氷山にぶつかって沈没したという話です。直接的な問題としては、見張りが双眼鏡を持っていなかったとか、海が凪いでいたために氷山のたてる白波の発見が難しかったとか、航路が悪かったとか、スピードを出していたとか、いろいろ言われています。
 (一つの事故は、その原因を探ると、様々な問題を含んでいます。そして、「これさえなければ事故は起こらなかったのに」というものを「原因」と見なすと、「原因」に関する複雑な相互作用がある(複雑系)ために、たいていどんなことでも「原因」として責任追及の対象になってしまいます。そんな仕方で問題を取り上げるのもちょっと・・、と思っています。私の授業では、テクノロジーの種類によって起こるトラブルのタイプが違っているということも含めて教えようとしていることもあって、毎回特徴のある事例を取り上げています。そして、それぞれのテーマごとに、ちょっと考えるに値する少数の論点を提示しています。)
 タイタニックの場合は、2つの論点を中心に説明しました。一つは、無線電信です。氷山があることは無線電信でタイタニックにも知らされていました。しかし、それを船長が取り上げなかったというだけでなく、無線通信士は船客からの要望による故郷への便りの通信に忙殺されて、船長に対する氷山の情報の報告には熱心でありませんでした。
 なぜこんなことが起こったかが問題です。無線通信士の責任感のなさが問題だというように、個人に責任を負わせても特に面白いわけでもありません。
 実は、無線電信の歴史を考えると、マクスウェルが電波の原理を唱え始めたのが1867年です。そして、マルコーニが始めて実用化に成功したのが、1896年です。タイタニックが沈んだのが、1912年4月14日であることを考えると、無線電信というのは、非常に若いテクノロジーだったことが分かります。世界最初のジェット旅客機であるコメット機が、何度か空中分解を起こして、航空事故調査の方法論の確立に貢献したように、「世界初」「日本独自」の技術というのは、時として思わぬ問題提起をすることになります。
 タイタニックの時代は、無線通信士は、マルコーニ会社からの派遣員であって、船長の直属の部下ではなかったというような船の航行に関する安全を確保する制度がうまくできあがっていなかったのが、問題でした。科学技術は、社会技術によって補完されることによって初めて、我々の安全を支援するものとなります。(海難救助に関する国際条約も作られるようになります。)
 もう一つの問題は、救命ボートの数の問題です。沈没後、事故調査・査問委員会が、アメリカとイギリスで開かれ、アメリカの委員会では、救命ボートの数が少なかったことを問題にしました。そのために、死者が1400人以上も出たと考えました。(被害者にアメリカの富豪が多かったこともあり、アメリカの委員会は、責任追及を中心にし、イギリスはタイタニックの航行の認可をしたこともあって、事故原因を中心に議論をしたと言われています。)
 実は、1894年のイギリス商務省の規則によると、1万トン以上の船は、救命ボートを16隻設備すればよい、ということになっていました。4万6千トン余りのタイタニック号も規則としては、16隻でもよかったのを、20隻救命ボートを備えていました。商務省がテクノロジーの発展(船の大型化)に対応して規則改定をしていなかったという問題もここには見えてきます。
 ただ、当時のイギリスの1万トン以上の船39隻のうち、33隻は全員分の救命ボートを装備していませんでした。実は、1910年ごろは、救命ボートは、全員が退船するためのものというよりも、救助船が来るまでは本船で待ち、ボートは救助船に乗り移るための手段と見なされていました。例えば、1909年に衝突事故を起こしたリパブリック号は、本船が沈没するまでの38時間の間に、全員が救助されています。
 典型的な衝突事故事例をこのようなものと考えると、船の設計で救助船の数を定員の半分にすることは、それほど不合理ではありません。設計というものは、どのような事故が起こっても完璧にそれに耐えるようにはできないのです。機能、信頼性、時間、安全性、組み立て、コスト、加工法その他の様々な制約を考慮しつつ設計をしなければなりません。そして、制約の間にはトレードオフ、つまりあちらを立てればこちらが立たず、ということが起こる場合もあります。それを考慮しつつ設計するというのがエンジニアの仕事です。理念に生きるのではなく、現実的調和を考えるのがエンジニアの判断力です。一つの制約だけを重視すると、例えば、絶対に墜落しない飛行機を設計しようとすると、飛べないような設計にするのが最適解になるかもしれません。
 さて、救命ボートの数が少なかったのは、ホワイトスター・ラインという船会社にとって出費になり、客にとって大事な甲板上のスペースをとることによるサービス低下が生じるという企業の経済問題に由来するだけではなかったのです。実は、荒れる北大西洋で、短時間に50~60隻のボートを海面におろすのは技術的に困難だ、といったことも関係していました。
 さらに、船内火災やエンジントラブルなどその他の様々な問題を考慮しつつ設計を行います。これは、数学的な合理性とは違っていますが、いわば「しなやかな合理性」とも呼べる判断力をエンジニアは持つべきだということを示しています。エンジニアは、自分の専門の理系の知識を持つだけでは実はやっていけないのです。この点に気づくことが、社会に対する責任を自覚するエンジニアにとって大事なことです。

3.工学倫理

 エンジニアは、人工物を設計するというのが、普通の人々、他の専門家(医者、弁護士)とは違った点です。設計した人工物を媒介として他人に影響を与えています。
 「うそをつく」とか「人をなぐる」といった倫理的に悪い行為は、通常、直接的に他人に対して行われます。それに対して、エンジニアは、「人に迷惑をかける」にしても、それは、人工物を設計することによって、それが他人に被害を与えるというように、人工物を媒介とした行為を行っています。テレビが爆発したりすると、作った人の責任が問われたりします。「人工物を媒介とした行為」というのは、なかなか奇妙な含意を含んでいるのですが、それはともかく、設計という行為の難しさ、安全問題の広がりといったことを、この授業では具体例の説明を通じて、示唆することによって、工学倫理の話をしています。
 また、倫理学者だけにうけるようなジャーゴンを使った「倫理学的に深い話」はしないようにしています。そして、明示的には「工学倫理」と語ると、余りにも工学系に合わせた授業になってしまうので、文系にもテクノロジーの基本的な考え方を理解してもらう一助として、授業を構成しています。

 *設計に関する考え方は、拙著『〈ものづくり〉と複雑系』講談社選書メチエを参照。タイタニックに関しては、高島健『タイタニックがわかる本』成山堂書店を参照。「人工物を媒介とした行為」に関しては、拙論「工学倫理と制度設計」『金属学会誌』2002年12月号参照。