専門英語作文指導:CALL授業におけるOCHAについて(要旨)
野口ジュディー (武庫川女子大学)
要約
英語を母語としないものが専門分野で活躍するためには英語の基礎力とその専門分野で継続的に英語力を上達させるための技能が求められる。このような専門分野英語教育は大学学部および大学院で取り組まなければならないものである。本稿では「母語話者モデル」ではなく「専門分野コミュニティーモデル」での英語教育の進め方について述べ、実際の授業例についても紹介する。
序文
昨年度文部科学省が打ち出した「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」では、21世紀を生き抜くために世界共通語となった英語によるコミュニケーション能力を身につけることの重要性が謳われている。英語で発信できないために折角のアイデアや研究成果が正当に評価されていないのである。この点は特に専門分野において重要である。
野口(2001)では科学技術分野での英語運用能力の重要性について述べられている。Gross
(1990)は「真実とは本来言語的なものである。言語が無ければ真実は無い。」とまで言い切っている。科学と言語表現との関係については多くの研究が行われてきている。Myers
(1990)では科学の発見は「専門分野コミュニティーにおいて認知されたイベントとして語られて初めて「発見」となる。」と述べられている。
『英語が使える日本人』の育成が重要であることは明らかであるが、問題はそれをどのように実現するかである。中学1年から義務的に英語教育があるにも関わらず、十分な英語力が身についていないのが現実である。原因の1つに大学入試対策として文法、語彙、読解力の瑣末な点に焦点を当てた英語教育があげられる。また、もう1つの原因として「英語母語話者モデル」を目標に掲げていることも考えられる。「母語話者モデル」は理想的ではあるが、学習意欲を阻害するものでもある。この「母語話者モデル」は2001年に出されたEUの"Common European Framework of reference for language learning, teaching, assessment"においても否定されている。この"Common European Framework"では「言語を学ぶ目的は変化した。言語を習得するということはもはや「理想的な母語話者」になることを目標とするものではない。言語習得は生涯学習の一環であり、そのため学校を出て新たな言語に触れる若者に学習意欲、技能、自信を高めさせることが最も重要なこととなる。」と述べられている。
それでは、日本の大学教育において何をすればいいのであろうか。ESP(専門英語教育)の分野からいくつか有望な提案が出されている。2002年8月のJACET(大学英語教育学会)夏季セミナーにおいてもESPが1つのテーマになり、野口(2002)においても「ESPは単に特定分野における特定の言語事象の問題を扱うだけのものではない。ESPは「言語とは何か」、「言語が社会にどのような影響を与えるのか」という重要な点について考えることをまさに実践しているものである。ESP教師は学生たちに世界とつながっているそれぞれの専門分野において積極的に活動できる能力を身につけさせる必要があるのである。
授業内容
2003年1学期に大阪大学大学院理学研究科博士前期課程1年生向けに研究論文の書き方を指導する授業が行われた。このクラスは過去2年間は通常の教室でOHPやプロジェクタを使って行われた。しかし今回は、より個々の学生に適切な指導を行うためCALL (Computer Assisted Language Learning)システムを活用した授業となった。
学習意識を高める"OCHA"
「専門分野コミュニティーモデル」で継続的に学習技能を高めるためには"OCHA"と呼ばれる方法が考案された。"OCHA"とはO (Observe、観察する)、C (Classify、分類する)、H (Hypothesize、仮説を立てる)、A (Apply、適用する)の頭文字を合わせたものである。全てのprofessional texts(専門分野での研究、業務に関わる文書)には内容と構造があり、"OCHA"はそのうちの構造に焦点を当てるものである。自分が書いている論文に対して繰り返し"OCHA"を使うことにより、学生は専門分野における修辞的、文法的、語彙的および論文書式、正書法、綴り方などを含む技術的特徴を習得するだけでなく、将来関わるであろう他の種類の論文への対応方法も身につけられる。
その専門分野固有の特徴を習得することの重要性はBhatia (1993)を始めとする大量の研究により明らかにされている。Okamura and Shaw(2000)では英語母語話者であるかないか、専門分野コミュニティーに属しているかいないかで4つに分けたグループに対して文法、修辞、語彙に関する調査を行った。文法に関しては全てのグループが許容レベルであったが、専門分野論文では特に重要とされる修辞に関しては英語母語話者であっても専門分野コミュニティーに属していないグループでは問題があった。
授業では、また"PAIL"という手法も用いた。"PAIL"とはP (purpose、目的)、A (audience、読み手、聞き手)、I (information、含んでいる情報)、L (language feature、読み手の推測に合うような流れで目的に結びつくように情報を提示する)の頭文字を合わせたものである。例えば、専門誌によってそれぞれ異なるPAILが必要となる。特に論文のタイトルは検索対象でもあり、出来るだけ幅広い専門分野の読者に訴えかけるものでなければならない。タイトルは完全な文章または適切なフレーズの形で論文全体の要旨をあらわすものである。タイトルに完全な文章を推奨する専門誌もあれば、文章形式のタイトルを受け付けない専門誌もある。一方で、論文の導入部は根拠となる理論や背景について説明を行いながら研究の基盤を説明し、提示されている作業に対する読み手の推論を助けるものである。このPAILに関しては授業で用いた教科書で説明されている。
授業進行
4月中旬から7月中旬までに12回、9月中旬に1回授業が行われる。最初の授業で学習方法が説明され、学生たちは自分の書いた原稿を他の学生に見せることと研究目的で使うことについて許諾を求められる。最初の作業は、自分たちが投稿したい専門誌の投稿規程について調べることであった。学生は必要事項(専門誌名、投稿先、論文の長さ、ページフォーマットなど)をエクセルファイルに記入した。この作業は修辞的、文法的、語彙的作業の前に行われた。この種の作業を行うのは英語を母語としない専門分野コミュニティー初心者にとっては大きな障害となりうるため、最初に行った。投稿規程を調べることで物理的なフォーマットがわかるだけでなく、専門論文の読み方も理解できるようになる。個々の学生が作成したエクセルファイルを合体させ、全員に見せることにより、投稿規程が論文により異なることを理解し、また、自分たちの書く論文を専門誌が求めている形式に合わせなければならないことを学ぶのである。
次に学生は論文の各部分の特徴を分析し、全ての分析結果を合わせて、全員に提示する。観察、分類作業を経て、学生は集めた情報をどのようにすれば自分の論文に適用できるかについて仮説を立てる。論文の要約を分析した例をTable 1.に示す。学生は動詞の時制と"hint words"(読み手を導くための専門分野コミュニティーでの指標)についても分析する。
これらの観察と分類分けの段階の後、学生は修辞的な構造、文法構造、語彙などについての仮説の段階に入る。ここで学生はコンコーダンスプログラムの使い方を習得し、自分たち自身の論文データベースを作成することになる。コンコーダンスプログラムで調べた共起例は論文を書く際に非常に有用である。(Table 2.に示す。)
次の段階はこれまで学習した内容を実際の作文に適用する。学生自身が書いた要約を、これまで分析してきたフォーマットに入れた例をTable 3.に示す。この作業により文章構造の重要性を再認識させる。この作業を論文の全ての部分について行う。ほとんどの学生が研究を始めたばかりの博士前期課程1年生であるため、実際に書けたのは導入部、実験や結果の一部であった。彼らの論文をよりよいものにするためには更なる時間が必要である。9月に行われる授業は学生たちに成果を口頭発表させる形で行われる。
結論
本稿は理論に裏付けられているESPを活用した、大学院生レベルでのライティング能力向上を目指す授業についての概要である。授業の目的は、専門的なコミュニケーションレベルにおいて、"OCHA"手法を用いて特定分野の論文の構造に対する認識を高めることである。この方法は、学生たちが将来の職場においてprofessional textsを扱う際にも有効であり続ける。