薬学部情報活用基礎を担当した"IT 化石人類"のつぶやき


寺田 知行 (大学院薬学研究科・分子生物学分野)
 

 薬学部情報活用基礎に関連して感じていることをこのページをお借りして述べさせていただきます。

 私が、薬学部の情報教育を薬学研究科の各先生方と分担し始めて結構な年月が経ったように思います。その間、学生の変化というより時代の変化を感じてきました。
 当初は、コンピューターの前で、機械がフリーズする前に自分がフリーズしてしまい、マウスすら触ろうとしない学生が結構いたことを記憶しています。この原因について研究室に配属された情報教育の経験者の学生に尋ねると、異口同音に"壊すことが怖かった"、つまり、"システムの破壊 = 高価なコンピューターを物理的に壊す"と感じているのがフリーズの原因だったようです。確かに振り返れば自分もそう感じた時期があったことが思い出され、仕方無いかなーと思ったこともありました。

 しかし、近年、情報活用基礎における学生の様子がすっかり様変わりしたように思えます。良いか悪いかは判断に苦しむところですが、望むところの詳細な情報がいとも簡単に手に入るようなってきたことにあります。
 そのきっかけは、確かコンピューターの価格崩壊とケイタイ (携帯電話及び PHS など) の普及だったように思えます。しかし最近では、ケイタイの進歩の方が完全に牽引しているように思えます。
 何年か前、あるケイタイのメーカーの技術者が、テレビのインタビューで"コンピューターに出来てケイタイに出来ないことはない"と嘯いていた (確かにその時はそう聞こえました) 時、"アホか"というのが本心でした。当時、ケイタイではメールの送受信がやっとの時期だったように記憶していますが、やはりただの素人だったというのが、時代を見抜けていない私の反省の弁です (現在でもケイタイを持たない IT 化石人類です)。

 最近のケイタイの進化は、先に書いたように情報を得るということを良きにつけ悪しきにつけ極めて簡便にしたことは否定できません。また、プロバイダーの増加によって情報提供の幅が広がったこともそれに拍車をかけているようです。
 その反面、多くの人がその落とし穴に気づいていないこと (悪く取れば、気づかせていないこと) は、大きな社会的問題であると思います。すなわち、日本人は基本的に秘密のない平和な (?) 社会で暮らしてきたために、プライバシー自体をそれ程重視しなくて良い社会であったのではと理解しています。しかし、そのことが、現在の IT を通じた犯罪の激増に結びついているのではと、感じます。
 不謹慎な例かもしれませんが、公的な情報ネットワークからの情報漏れについて、奇しくもその担当者が"コンピューターの破損はなく、何も問題になることはない"と弁明したことは、その典型的な例であり、大きな警鐘かと思います。そろそろ個人情報の大切さやインターネットなどを通じたトリックからの回避法など、日本人の考え方をリストラクチャーせねばならない時期が来たのかも知れません。このような点についても情報教育を通じて、修正できればと思います。

 私自身、コンピューターリテラシーは、必須の技術だと思います。しかし、少なくとも家庭において個人で行っている場合、マナーやリスク管理は、ないがしろになっている場合 (知らないために結果としてトラブルに巻き込まれる) が多くなっている事実も看過できないものと思われます。逆に、以下のように良い面も多くなってきたことは大いに認めざるを得ません。
 すなわち、My computer やケイタイを持ち、自分でネットワークに接続し、必要な情報を短時間で手に入れてくる、場合によっては、私達長く研究に携わっている者より、フレッシュかつ適切な情報を手に入れてくることも往々にしてあることも近年研究室に配属されてくる学生の傾向です。これはケイタイによって基礎訓練を受けたお陰とも言えます。
 このことは、既に小学生の頃からケイタイを持ってネットによる検索やメールの送受信あるいはチャットをやってきたことにねざすものでしょう。キーボード操作も私たちより早く正確なようです。習うより慣れろで、頭の柔らかいうちに体で覚えたことだからでしょうか?
 少なくともこの点に関しては情報教育という科目を担当する者には感謝すべきことかも知れません。さらなる進化を願わずにはいられません。

 さて情報教育について振り返ってみると、大きな問題が迫ってきているようです。
 それは、現在大学で行われている基礎的な情報教育をすでに済ませた学生が近々入学してくることです。各大学においても、その対応に苦心されていることをよく耳にします。
 良いことか悪いことか、これは先のケイタイの話と同様、両面あるのではと思っています。スキルの上だけで考えると悪いはずはありません。しかし、心配なのは、入学してくる学生が中学高校で、情報教育についてどのレベルまで到達しているか、すなわち、出身校により差が無いかということです。
 勿論、現在でも各個人によって異なる環境でコンピューターに触れてきたわけですから同じと言えば同じなのですが、基本的なマナーあるいはスキルに関しては先に述べたようにキチンとした教育を受けていないと判断して教育を施せばよいと考えます。しかし、正規の教育として受けたものに幅があれば、大学における教育の幅を広げざるを得なくなり、結果として、その対応に苦慮せねばならないのではと心配しております。
 そこで、所属学生の現状を踏まえたときに何を基礎教育としてなすべきかを考える必要があります。コンピューターリテラシーといっても、実は、最も基礎的なこと、例えば、先に上げたことが、十分に理解できているかどうかです。意外と自分のコンピューターを自らの手で管理をできる学生は少ないものです。故障といっても、リセットで解決できることもあれば、ノート型の場合のように電源を抜いて電池を外すことで解決できる場合もあるのですが、自分ではできず IT 化石人類の私の所へ持ち込むことも多いのも現状です。これだけスキルのあるはずの人達なのですから、自分で管理する気になれば簡単にできることだと思いますが、意外に気が無いのか分からないのか、結局他人頼りというのが現状です。
 この原因は、自分のコンピューターの原理を今一つ理解してできていないことにあると思います。自分の使っているOS やソフトの原理を全く理解しようとしない (できない?) ために簡単な修復さえままならないのだと感じています、自分で修復できれば、無駄な時間も金もかけずに済みます、また営々と積み上げたデータや作動環境をなくさなくても良いのですから。
 このような基礎中の基礎についても結構習熟できていないように感じます。全学でやるべきことかどうかについて意見が分かれるところだとは思いますが、何か配慮頂ければと期待しております。

 あまり上手くまとめられず、支離滅裂でお詫びしなければなりませんが、本当の意味での skill up は、高度なリテラシーだけでなく、先にお示ししましたような OS に対する基本的な考え方、コンピューターの機械的なシステム構成の原理など基本を理解させてはじめて可能になるのでは考えております。
 どのような技術であれ、現在のようにユーザーを置き去りにして技術が進化していく時代、先端技術であればあるほど足場を固めなければならないのではと感じています。